uta de yomu Genji Monogatari
目 次
明石上を信頼する源氏の歌（松風の巻 第２回）
契りしに変らぬことのしらべにて絶えぬ心のほどは知りきや
古典文学大系 二 ２０４頁
（口語訳）
昔、約束したように琴の音が変わらない調子です。貴女を思うわたしの情愛のほどはかねてから分かっていましたか。
（解説）
明石上が住む大井川のもとへと源氏の気持ちは焦るのですが、紫上を裏切って出かけることはできません。紫上にはバレバレでしたが、嵯峨野の御堂へ二、三日ということで何とか口実ができたのです。
出かける折には、「斧の柄さへ、あらため給はんほどや。まち遠に」（古典文学大系 二 ２００頁）といやみまで言われる始末。元来、気立ての素直な紫上は、いやみなんて源氏には言うはずもなかったのですが。
大井川の邸で、源氏は、明石上、尼君、そして、幼い姫君に再会します。秋の美しい月にひかれて、明石上は、源氏に琴を勧めます。源氏もその情緒ある風情に我慢ができません。琴を弾き始めると、なんと調子はあの頃のままです。琴の調律は勿論のこと、すべてがあの須磨・明石の世界となって行くのでした。そこで源氏が詠じた歌が、今回の歌です。
上の句の「契りしに変らぬことのしらべにて」というのは、琴の調子が昔のままということです。その調子というのは、常に調律していたから保つことができるのです。ということは、明石上の人々がいかに源氏のことを大切にしていたかを暗示しているのです。自分と明石上との強い結びつき、信頼関係を確認した強い自信がこの歌からは受け取れます。古典文学大系の注には「知りきや」は「知りぬや」と違うとあります。運命の強いつながりを始めて知ったというのではなく、昔から分かっていたねというのです。強い結びつきが確認されているのです。
源氏の強い信頼に基づく歌に、明石上も答えます。「変らじと契りしことを頼みにて松のひヾきに音を添へしかな（変わらないとお約束してくださった貴方のお言葉を頼みにして松風にわたしの泣き声を加えておりました）」素直に返歌をする明石上。こんなに素直な信頼関係に包まれた恋人が寄り添う場面は、源氏物語の中でも少ないのではないでしょうか。
明石上と別れる入道の悲しみの歌（松風の巻 第１回）
行く先をはるかに祈る別れ路に堪へぬは老いの涙なりけり
古典文学大系 二 １９６頁
（口語訳）
将来をずっと幸せであるようにと祈っているお別れの今、涙は、縁起がよくないと思って我慢しているのですが、我慢しきれないのは老人のなみだですなあ。（なんとも申し訳ないことです。）
（解説）
源氏は、田舎にいる明石上、そして、娘の姫君のことが気になって仕方がありません。二条院の西の対に住ませようとするのですが、明石上は、都へ上ることをしぶっています。源氏のほかの愛人たちと比較されることを考えずにはいられないからです。田舎者の自分。人々の笑いものになってしまうのではないだろうかと。しかし、一方では、源氏の娘でもある姫君が、自分と一緒に田舎で埋もれてしまってよいのか。明石上の苦悩は深まるばかりです。
そんな折に、明石上の父、入道は、祖父の領有していた大井川のほとりの邸宅を改築して明石上、姫君の住む別荘とすることにしました。その別荘は、源氏が作らせている御堂のすぐ近くでした。源氏は、明石上達が上京することを知り、例の惟光朝臣にさまざまの準備をさせたのです。
明石上は、慣れ親しんだ明石の海岸、父である入道とも別れなければなりません。秋の風情が一層悲しさを倍化させます。「秋風涼しく、虫の音も取りあへぬに、・・・」（古典文学大系 二 １９６頁）と描かれている中で入道との別れるのでした。
娘の明石上との別れの悲しみに加えて、入道にはさらに悲しい別れがありました。それは、片時も放つことができないように可愛がってきた孫娘の姫君との別れが加わるのです。入道の悲しみを歌い上げたのが今回の歌です。
この歌には、特別な修辞上の技巧は用いられていません。素直に自分の心を表現した歌となっています。明石上・姫君の将来の幸福を祈る気持ちと、老いの涙がこらえられない現実とを歌ったのです。その抑えた表現が、妙にユーモラスに響いてくるのが持ち味の歌となっているようです。いかにも田舎の入道といった雰囲気となっているから他の部分が生き生きしてくるのでしょう。
大井川の別荘の管理人だった男が、髭だらけの格好で、憎々しげな顔を、鼻など真っ赤にして口を尖らせて言い訳をしている様子が描かれています。入道との間で、領有の証書などが問題にされているのです。「源氏物語」では、男性の現実的生活が描かれていないという指摘もありますが、ところどころにこのような当時の社会が描かれていることに注目したいと思います。